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CLASKA ONLINE SHOP 速水真理のブログ

「アップデートする暮らし」第8回:ボーナス全部でアートを買う

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わたしは今、興奮しています。生まれて初めて、アート作品を買いました。ボーナス全部をつぎ込んで、2作品。

決して周りからそそのかされ男気を試されたのでも、何かの勝負に負けた罰ゲームでもありません。自ら、すすんで買いました。なぜなら・・・・・・、最近、ふと思ったのです。

生活をするのに必要な物なら、あるっちゃある。むしろこれまでさんざん買ってきました。ちょっとやそっとじゃ、もう欲しくない。大人になりました。だから

この先何のために生きて働いてお金を使いたいか考えたら、「美と芸術に触れ、心を震わせるためしかないじゃないか!」と

奮い立った、思い切った、買ったった。このドキドキとときめきったら、なんたることでしょう。

2作品のうちのひとつは、小村雪岱の「青柳」。

出合いのきっかけは、CLASKA Gallery & Shop "DO" ディレクター 大熊さんによる、雑誌『Discover Japan』での連載記事でした。ご自身が小村雪岱の大ファンだと触れられていたのです。

「なぬ、小村雪岱、とは!?」と寝耳に水の無知を恥じ、慌ててコソコソGoogle画像検索するわたし。表示された日本画の数々に、目を見張りました。これほどまでに自分好みな作風の画家が存在していたなんて。なのにこれまで全く知らなかっただなんて。驚嘆と痛恨と焦燥に駆り立てられ即、作品集を買い求めたのでした。

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届いた作品集に、夢中です。本棚へ仕舞う暇も惜しんでダイニングテーブルに平置きしたまま、ふとした時、いつでも手に取れるようにしました。(そのせいでうっかり、すっかり表紙が日に焼けてしまいましたが。)

どこからめくり、なんど眺めても、はっとするほど美しい。中でもいちばん、吸い込まれるように見入ってしまったのがこの「青柳」でした。

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好きすぎてそのうち、印刷では物足りなくなりました。実際の色彩や質感はいかほどのものなのか、なんとしてでもこの目で見てみたい。焦がれ猛る心、血走る眼で捜しまくった末、約80年前の複製版画(ED300のうちの1点)と巡り合い、入手する幸運に恵まれたのです。

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この画のどこが素晴らしくどのように好きか挙げようとすればキリがなく、挙げたところで無粋かと途方に暮れる、結果、沈黙するよりほかありません。ただただ、この風景のように静かな心持ちで暮らしていけたらなぁと、眺めるごとにしみじみ感じ入っています。

もうひとつは、先日まで CLASKA Gallery & Shop "DO" 本店で開催していたフィリップ・ワイズベッカーさんの作品展「PHILIPPE WEISBECKER WORKS IN PROGRESS」から。"KAKEMONO" というシリーズの作品です。

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ワイズベッカーさんが蚤の市で見つけた中国の古い掛け物から着想を得て、地の紙や軸からすべて手作りされました。身近な日用品を描いた画の妙はもちろんのこと、全体がオブジェとしてめちゃくちゃ格好いい。磁石や瓶など、10種類ほどあった中からわたしが選んだモチーフは "DUST PAN"(チリトリ)です。

禅寺のお坊さんが、庭を掃き、床を磨くことを何より大事な修行とされているように、わたしも日々ますます掃除に精進し、住まいと心の塵を取り払いたい。美しい暮らしの真理と悟りを目指す求道者として、ご本尊にチリトリを祀ろうというわけでございます。

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一方で、見方を変えて、チリトリの持ち手部分を人の頭としてみましょう。着物を着た人が、座っているようではありませんか?

日本の古い掛け軸によくある烏帽子姿の貴族の肖像を思いっ切り単純化したキャラクターのようにも見えてきて、なんだか微笑ましい。「菅原道真公です」と言われれば「なるほど」と頷きありがたがってしまいそうな、ほんのり雅な面白味があります。

日本人にとって古来より馴染み深い「掛け軸」の感覚からすると、あり得ない「チリトリ」なんて題の現代アート最新作。フランス人であるワイズベッカーさんのセンスによって国籍も時代も超越してしまった結果、はなから古物のように澄まして存在しているのも痛快です。100年後の未来の人たちに見せたら「なんだこれは」と驚くに違いないとニヤニヤしていますが、果たしてその頃、世界からチリトリは無くならず残っているのでしょうか・・・。

さて、冒頭で正直「生まれて初めて」アート作品を買ったと申しました。

実は・・・、これまでの人生、アートを美術館などで鑑賞することは好きでも、作品そのものを買って所有するなんて、よもや「わたしなんぞが」という、分不相応と現実味の無さを感じながら生きてきてしまったのです。服や物とはちょっと違って、畏れ多いと言いますか。それでいてここにきて、今回の2作品。生まれて初めてでいきなり生意気ながら、これまでの人生でいちばん大きな買い物となりました。

自慢するつもりは、ありません。自信、というほど大それたものでもありません。腹を括って清水の舞台から飛び降り、アホほど身銭を切った痛みと引き換えに、「わたしなんぞが」の「なんぞ」と決別できたことこそが、情けなくも感涙のアップデートとなったのです。誰にも、わたしにも、アートを愛好する権利があるんだ。そう気づいて一歩踏み出す勇気を持てたことが、うれしいのです。

にしても、「『アートのある暮らし』って、いいよね」なんてほぼ当たり前レベルの概念くらいは持ち合わせているつもりでしたが、“つもり”なだけで、ショックなことに、お恥ずかしながら、今日の今日までなーんもわかっていなかったんだと知るに至りました。アートを鑑賞することと、アートと暮らすことが、こんなにも違うなんて。美術館やギャラリーで拝見し「いい作品だったな〜」「ときどき思い出そう」くらいで関係が済むのではなく、買ってしまってから始まるリアルな付き合いと生活。もちろん惚れ込んだ作品ですから、家で目にするたび幸せ。とはいえ、これから先の日々の中で、これらの作品からどれだけ新たな魅力を発見できるか。自分はどこまでその美の境地に近づけるのか。自分がどんなに変化しても、好きでい続けられるのか。あるいは風景や空気のごとく、無意識に馴染みゆくのか。観察し学び続ける覚悟と経験を買ったような気もしています。

あ、チリトリ様に見守られているおかげで、掃除の精度はちょっと、上がったように思いますよ。笑

いや~しかし「ボーナス全部をつぎ込んで」と言いながら実はボーナス全部でも足りなくて、それ以上だったのでした。あいたたた。よっしゃー、働こう!

「アップデートする暮らし」第7回:モーツァルトと眠る

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睡眠の質を上げたい。特に不眠というわけでもないのですが、なかなか寝付けなかったり、眠りが浅いのか夜中に何度か起きてしまったり、朝起きたときに疲れが取れていない気がしたり。出来るだけぐっすり深く、死んだように眠り、昨日までのことはさっぱり忘れ、毎日新しく生まれ直したい。

よりよい睡眠のために、何かできること・変えられることはあるでしょうか。これまでにも、夜はゆっくり半身浴をしたり、ストレッチや足つぼマッサージにいそしんだり、ノンカフェインの温かいお茶を飲んでみたりと、リラックスして睡眠に備えてきたつもりだったのですが。

調べてみると、睡眠にとにかく良くないのは、寝る直前までの「スマホ」!同様に「煌々としたテレビや蛍光灯の明かり」。これがいかんのだという。ぎゃあ。ずばり、心当たりしかないです。

寝る前の時間の過ごし方を変えて、睡眠に改善が起こるのか、確かめてみましょう。

スマホは、寝る1時間前から見ない。

これまで下手したら、部屋の照明を消してベッドに潜ってからも何やらソワソワ触っていたスマホ。常に手元に無いと不安になってしまうなんて現代病を自覚しますが、幸いにしてわたしはスマホをチェックしないだけで社会に不具合をもたらせるほど世界の要人ではないという自覚で蓋をすれば安心です。寝る1時間前から手が届かないところに置いて、触らないようにしました。

テレビと照明も、寝る1時間前に消す。

はたと思い出させられました。いつも寝る直前までテレビと照明をつけていたせいですね、忘れていましたが、夜って、こんなに暗くて静かなものでした。電気の無かった昔の人たちはこの暗がりと静寂の中、どんな風に夜を過ごしていたのでしたっけ。頂きもののアロマキャンドルがあったことを思い出し、マッチでシュボっと火を灯します。あら、なんだかいい雰囲気。

そうして暗がりの中、キャンドルを眺めながらクラシック音楽を聴く。

なにこっ、これ、恐ろしく気持ちいい・・・!!

クラシック音楽の荘厳かつ美しい音色、キャンドルの火の温かな光とゆらめき、芯のはぜるわずかな音、アロマの密やかな香り。そこはまるでヨーロッパの古い教会(行ったことないけど)。

あくまでも、音楽のボリュームはささやかに。耳を澄ましながらぼんやりキャンドルの火を眺めていれば、神聖な空間の広がりに魂が洗われ、優美な時の流れに心は溶け出し、ああうっとり、すんなり、「あなたはだんだん眠くなる」―― 催眠術か魔法かと驚きたじろぐ隙もなく、瞼はずっしり重たく幕を垂れて炎の姿を見失い、頭の中からは考えという考えが何もかも消え去って空っぽになり、耳に聴こえているはずの音楽ももはや旋律の輪郭を崩して形をなさず、この身はただただ心地よい響きの波間をぷかぷか無力に漂うばかり。やがて静かに夢と現の境へと沈み、いよいよ風前の灯となった意識と共にキャンドルの火をふ、と吹き消したが最後、ベッドにずさっと転がり込み、そのままぐぅ、すーと寝入ってしまったのでした。

・・・・・・朝、目覚めてぱちくり。なんだか、随分、よく眠れた。昨日が遠い。

知ってしまった、この滑らかな寝落ちの快感。ぐっすり深い快眠。起きてすっきり。もうやみつきです。

モーツァルトショパンシューベルト・・・・・・。クラシックに詳しくない初心者らしくブックオフの500円以下CDコーナーで堂々のジャケ買いをしてきた中で、今のところ最も素晴らしい(聴き心地が良くて、早くよく眠れる)と感じる名曲はモーツァルトの『レクイエム』。すなわち死者の安息を祈る歌曲であるからして、眠るためにお誂え向きじゃないかという点でもお気に入りです。

時代背景と照らし合わせれば、なんとモーツァルト自身が亡くなる間際に作曲したのだそう。迫る死の予感を抱えて創作された、最期の作品だったとは・・・。モーツァルトの死後、未完の作品を弟子が引き継いで完成させたと伝えられています。と同時にモーツァルトが享年わずか35歳だったと知るに至り、さらに驚嘆しました。

35年の間に、その後全世界の人々が200年以上感動し続ける作品の数々を生み出したのか・・・。あらためて果てしないモーツァルト。遅ればせながら、他にもどんどん聴いてみたい。CDを買い足しつつ年譜や周辺を探りだしたら(あっさり横道に逸れまして)驚いたことに、「モーツァルト療法」なる健康法が存在するのだそうです。モーツァルトの音楽を聴くとその特異なる周波数により、まさに不眠症や高血圧、その他各種病気の改善に効くんですってよ奥さま。眉唾ものの感もありますが、実際のところよく眠れることをすでに体感してしまったわたしとしては、眠りの友にモーツァルトを選んだ自分の直感も捨てたもんじゃないなと悦に入ったり。(ただ毎度CDの半分までにも辿り着かず、聴き始め20分くらいで寝てしまうくせして、モーツァルトを語れないよなと苦笑したり。)

そんなこんなの睡眠改善、体験実施中。夜な夜な暗がりで火を焚きクラシックをかけているなんて怪しげな姿をよしんば人様に見られでもしたら「恐怖!呪いのクラシックかけババア」みたいな妖怪都市伝説も発生しかねませんが、なんの、この世に悔いも恨みもない、放っておけばのそのそと床に就くだけの無害なババアですのでそっとしておいていただけましたら助かります。

電気を消して、キャンドルを眺めながら、モーツァルトと眠る。炎と音楽の “1/fゆらぎ” による相乗リラックス効果なのか、瞑想状態に入りやすくなっているのか。科学的根拠が明示できず恐縮なのですが、理屈抜きでも寝つきのスムーズさや眠りの満足度がぐっと上がった実感は確かです。当面、続けてみたいと思います。寝酒を必要としなくなったことも実は、わたしにとって一世一代の大金星です。(お酒を飲むと眠りやすいとばかり思ってましたが、寝酒こそが睡眠によくないこともまた知りました。)もしよろしければ、だまされたつもりでお試しを。お子さまの寝かしつけにも良さそうな気がしますが、いかがなものでしょう。

それにしても「眠り」って、不思議なものですね。眠っているとき自体は無意識の状態なのに、起きているときの意識的な行動が如実に眠りに影響するなんて。人体は複雑、かつ素直です。

さぁ、今日もお疲れさまでした。気持ちよく、たっぷり眠りたいと思います。皆さまごきげんよう。おやすみなさい、で。すー

 

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「アップデートする暮らし」第6回:バアさんになっても食べ続けたい朝ご飯を考える

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『わたしがオバさんになっても』という歌が流行った頃、「オバさんになる」ことを想像すらできないほど若かったわたしもやがて、健康・美容に興味を持つ立派なオバさんへと進化しました。

今や「わたしがバアさんになっても」食べ続けたい朝ご飯を考える日々です。

朝ご飯は、必ず食べます。朝ご飯に希望すること。それはまずシンプルに、美味しい。栄養バランスが良く健康的で、心身がホッと安定する。体が温まり、1日の活力が湧く。これさえ食べてりゃ幸せだなと毎度しみじみ思う。簡単に、10分で支度ができる。食材が季節を反映し、飽きない。低コストで、持続可能。明日も朝ご飯を楽しみに起きられる。

そんなことを目指して今のところ、こんな構成に落ち着いています。

白湯/ご飯/お味噌汁/焼き魚/納豆/ぬか漬け/フルーツ/コーヒー

中でも欠かせない「納豆」が最近、思いがけず大いなるアップデートを遂げたのです。ご報告します。

もうタレには戻れない。
納豆には簡単手作り醤油麹。

CLASKA のオフィス(CLASKA Gallery & Shop "DO" 本店の隣)では、わたしたち CLASKA ONLINE SHOP のチームと、スペースレンタル営業・ウェディング・広報のスタッフが一緒にデスクを構えています。お昼どきにはオフィスの端にあるミーティングテーブルへ三々五々集まり、各々持参のお弁当や買ってきたものを食べるのが日ごろの風景です。

その中に、西川さんというウェディングプランナーの女性がいます。初めて会ったとき芸能人かと思ったくらい美人です。美人が食べているものは、気になる。チラチラ見ていると、美人はよく納豆を食べている。聞けば「納豆のタレに入っている食品添加物が心配だから、使わずに塩で食べてます。粘りもより出て、美味しいですよ~」なんて言うもんだから、たまげました。まだ20代の若さにして、その健康意識の高さ。と同時にわたしは、

「納豆に付いているタレを“使わない”なんて発想、まったく無かったわー!!」

・・・・・・と衝撃を受けたのでした。

物心ついてから30年以上、何の考えも、ましてや疑いもなく、納豆には付属のタレをかけてきました。なぜなら付属しているから。納豆の味≒タレの味。あの、納豆と一心同体のタレを使わない選択肢があったなんて・・・・・・愕然です。かけるものは自由だなんて・・・・・・革命です。

それにしても。不肖わたくしもここのところ一丁前に食品添加物を案じ、無添加の調味料を選んだり加工食品は買わないようにしたり、心掛けてきたつもりでございます。ところが納豆のタレは、完全に、盲点でした。「納豆=健康そのもの」というイメージの内に、タレの存在は包み隠されてしまっていたかも知れません。納豆3パックを束ねてある、成分表示が記載されたあのカバーは外して捨ててしまうし、タレの小袋自体には記載がないものだから、そういえばろくに成分を見たこともありませんでした。見ればなるほど、思った以上にいろいろ、入っているものなのですね(※商品により異なります)。それではいざ、わたしもタレを卒業し、無添加調味へ入門だ!

・・・・・・いや「とはいえタレもカラシも必ず捨てるのは、もったいなくて忍びないなぁ」。逡巡していると、すかさず広報の牛田さんが「そんなタレ不要派のために、タレもカラシも付いてなくて、そのぶん安い納豆も売ってるのを最近見かけますよ」と教えてくれました。知りませんでした。売ってました。タレ・カラシなし納豆40g入り3パック45円(+税)。世の中は、時代は、なんてわたしに親切なんだ。(ただし極小粒のみ。願わくば中粒も置いていただきたい。)

さて。何をかけましょう。醤油だけだと、なんだかタレが恋しくなりそうです。長年慣れ親しんできたタレの、あの甘辛さこそ、やはり納豆に合う気がします。西川さんは塩と言っていたけれど、わたしは塩味だけではなくどうしても、醤油特有の風味やコクに加えて、幾ばくかの甘み・まろみを求めたい気持ちです。

味の方向性をしばらく口内でシミュレーションしていたら、ひょっとして「醤油麹」が合うのでは!?と思い当たりました。健康にも良さそうです。試しに市販の醤油麹を合わせてみたら、これがびっくりうれしい大発見。納豆との相性抜群。むしろタレより断然、美味しいではありませんか。

小躍りしながらしかしふとその醤油麹の原材料を見るに「醤油、米こうじ、食塩、酒精」。ん?「酒精」とは、なんぞや?と思い調べれば、おっとこれまた出ました食品添加物。タレの食品添加物を避けてなお、同じ壁にぶち当たるとは。「酒精」は、麹の発酵の進行を止めて二酸化炭素の発生を抑え、製品容器の変形や膨張を防ぐために必要とされているものですが、要はそれで酵母が死ぬので食べても健康効果は無いのだそうです。まぼろしー・・・。

生きた酵母を食べようぞ。醤油麹で無添加のものは市販されていないのかしら?とさらに調べ出したところ、なんと。あっけないほど素晴らしく簡単に手作りできることを知るに至ったのです。よっしゃ~!さっそく米麹(玄米麹)を調達。常温で麹を同量の醤油に漬け、1日1回かき混ぜる。醤油を吸って麹が膨らむので、漬かる程度に醤油を足す。1~2週間経って、とろみが出たら出来上がり。たったこれだけ。嘘みたい。はい出来ました。(※保存は冷蔵で3ヶ月程度。より詳しくは、各自でお調べください。)

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この簡単手作り無添加醤油麹が、これがっ!いざ納豆にかけたら恐ろしく美味しくて。涙がこぼれないよう上を向き、目をつむって口いっぱいの感動と幸せをムフゥと噛みしめた次第です。醤油麹も納豆と同じく大豆が原料の発酵食であるからか、納豆との掛け合わせにより大豆自体の風味がより濃く感じられます。くっきりとした、醤油のキレとコク。それに麹のふくよかなまろみ・柔らかな甘みの奥行き。納豆の粘りと醤油麹のとろみががっちり強く絡まり合い、もはや猛烈な旨味のかたまりでしかないです。毎朝何気なく食べてきた納豆が、燦然と輝くご馳走へ、ご飯上のスターダムへと、駆け上がった瞬間でした。無添加だ健康的だなんて理屈をすっ飛ばして味をあまりに気に入ってしまったため、もはやタレには絶対に戻れません。

「納豆に手作り醤油麹」、おすすめです。ネットで検索したら、わたしの他にもこの組み合わせを絶賛愛食している方々や、この食べ合わせでの健康効果を説かれている栄養士さんも見つかって、答え合わせが正解だったような、共感しますとお伝えしたいような気持ちで、うれしくなってしまいました。納豆以外にも、醤油代わりに豆腐や卵かけご飯にちょっとかけたり、料理に使っても、旨味とコクがぐっと増して良いですよ。

市販の醤油麹ももちろん十分美味しいですので、まずは市販のもので試してみて、もしお気に召したら手作りされてみてはいかがでしょう。手作りの味は格別です。(経済的でもあります。)

最後に、朝ご飯について、納豆以外の補足です。バンドのメンバー紹介じゃないですが、現在の朝ご飯の構成はこちら。

[白湯]
図書館で健康雑誌を閲覧して知った「レモン白湯」を飲んでいます。

[ご飯]
今は白米と玄米を混ぜていますが、玄米のみにする予定。いつか将来、土鍋で炊くことに興味がありますが、今は炊飯器です。

[お味噌汁]
昆布とかつお節で出汁をとり、具沢山に(この日は小松菜・ワカメ・長ネギ)。出汁がらは冷凍庫の容器に溜めておき、佃煮にして食べます。(実家の母の真似)

[焼き魚]
仕事帰りのスーパーを狙い、切り身が半額になっていたら購入。塩を軽く振り、1切れずつラップして冷凍。食べる前夜に冷蔵庫へ移して解凍。鉄のフライパンで焼きます。

[ぬか漬け]
「わたしのぬか床」というキットで漬けています。お皿に盛ったものを1~2片食べたら冷蔵庫に仕舞い、5日間程度で食べ切る(ぬか床を、毎日は混ぜるだけ。5日間取り出さないロット生産をする)ズボラなスタイルです。

[フルーツ]
季節によって、変わります。

[コーヒー]
食後にハンドドリップで淹れ、ホッとひと息。

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魚を焼きそのままテーブルに載せてしまっている鉄のフライパンについては、「アップデートする暮らし」第4回:鉄のフライパンに、誤解を詫び愛を叫ぶ をご参照ください。

木のトレイは、「アップデートする暮らし」第3回:堀井和子さんから教わった、テーブルクロスの使い方  を書いたあとに買いました。CLASKA Gallery & Shop "DO" オリジナルの「白木塗トレイ タモ8.5寸 正角」。自分が書いた記事に鼓舞され、自分が売っている商品を自分で買って使って喜ぶという、おめでたいスパイラルが起きています。にしてもこのトレイは買ってほんとうによかった。形がきれいで清々しいし、ナチュラルな白木のままの仕上げに見えて実は艶なしのウレタン塗装が効いているため水気を吸わず、扱いやすいです。

ところで、しかし。朝ご飯について「健康を考えたら結局、昔ながらの和食にたどり着くわ~」なんて分かった風に話していたら、妹から「でも昔の人の方が寿命が短かったよ」と息の根を止められました。妹は健康・美容探究の権化で、わたしより2歳下なのに知見は20年進んでいます。最近はもはや、食べないこと(不食。まさに霞を食う仙人のような暮らし)や呼吸法に興味があるらしいです。次元が違う。考察は続きます。わたしなんぞ健康志向を気取るくせしてお酒はやめられないし、ポテトチップスなんかも好きでときどき食べてしまう矛盾を抱えながら。

朝ご飯もまだこれから、どんなアップデートを迎えるやも知れません。現時点での自分の経過観察記録として、詳しく書いてみました。

 

※注:醤油麹の写真について

タッパーで仕込み、出来たものを小分けに瓶詰めした写真です。また、材料の玄米麹は銘柄の違うものも試してみたいため、次回用に買ってあるものを撮りました。出来上がった醤油麹の材料とは異なります。

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「アップデートする暮らし」第5回:大好きなテレビを、朝は観ないことにした

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朝、テレビを観るのをやめました。

――たったそれだけのこと?、と思われるかも知れませんが、わたしにとっては、暮らしのアップデートどころか人生の一大変化。

なにしろ生来のテレビっ子なのです。朝起きたらまずテレビをつける。外から帰ってきたら、真っ先にテレビをつける。寝ているとき以外、家では常にテレビをつけているのが当たり前の生活で、かれこれ数十年。音楽を聴くとき、テレビの音を消しても画面は消さない始末でした。

そんなわたしなのですが、ある朝、いつものように情報番組を観ながらご飯を食べていました。1年近く前のことでしょうか。人に対して批判や怒号や罵声を浴びせる話題ばかりが立て続いた頃です。なんだか観てるだけでもつらいなぁ、自分が言われてるわけでもないのに凹むなぁ、とダメージを受けていることに気づきました。

ふっ、とテレビを消してみたのです。

すると・・・・・・あれ?、なんて、静かなんだろう。時が止まったみたい。

観る画面を失い、じっ、と手元の朝ご飯を見つめます。

なんてことだろう。これまでいかにテレビに気を取られ、目の前のご飯をろくに見もせず、上の空で食べていたか。愕然としました。

突如として、はっきりと。いま器と箸を手で持っている、という感触。お味噌汁やお米から立ち上る、香り。噛みしめる、歯応え。味わっている、という実感が立ち現れ、より美味しく、しっかり食べた充足を感じられるようになったのです。

天気予報を伝える画面に代わって、窓の外に目を向け本物の天を仰げば、毎朝違う空模様。おおよそ今日の天気もわかりそうな予感です。静けさの中、風に揺れる木々のさざめき、鳥のさえずりなど、自然のささやかな音が耳に心地よく届いてきます。

あぁ、とっても、心穏やか。

思えば自分と関係ない時事に、ずいぶんと心乱されてきたものです。面識のない他人の不倫が許せないと断じる、現実味を欠いた世界から、「他の誰にも邪魔できない、わたし自身の生活」を愛しむリアリティを取り戻しました。世の中で起きている事件や事故を、「知らぬが仏」とはまさにこのこと。我が家は今日も平和だご飯が旨い。

以来、朝起きてから家を出るまでの、およそ2時間。時間自体は変わらないのに、ずいぶんゆったりとした感覚で過ごし、落ち着いて家事や身支度ができています。うっかりテレビに見入ってしまったことで気づいたらバタバタ、ということも起きません。波風のない湖のような心、安定のご機嫌で、悠々と出社できるようになりました。

・・・・・・なんて書くと、テレビはなるべく観ない方が良いと言っているようですが、そんなつもりはありません。あくまでも朝のひとときだけ、観るのをやめてみたという話です。大好きなテレビの名誉にかけて、テレビへの想いも、ここに書いておきたいと思います。

わたしが生まれ育った福岡の実家では、毎日よくテレビを観ていました。起きて朝ご飯を食べに茶の間へ行けば、ワイドショー。学校から帰ってきたら、夕方のアニメ。晩ご飯どきには父が好きなプロ野球か、わたしたち子どもが好きなバラエティや歌番組。あとは寝る直前までニュース番組。気になるドラマや映画もチェック。意識したことも疑ったこともない、それが日常でした。

思い出すのは、中学~高校の頃。わたしと妹は『ダウンタウンのごっつええ感じ』が観たくてしょうがない。父と母は『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の方が面白いと言って譲らない。日曜20時のチャンネル争いは、熾烈を極めました。

争いに敗れ、渋々観る『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』も、しかし面白いのです。中でも、「勉強して東大に入ろうね会」というコーナーに魅かれました。東大を目指す一般の受験生数名に長期間密着し、邪魔してんだか茶化してんだかワチャワチャしながらも、番組を挙げて全力で合格を祈願するというドキュメンタリーです。何より、登場する受験生ひとりひとりがぶっ飛んだ個性的なキャラクターで、大笑いさせられながら、いつの間にかわたしも彼らを応援する気持ちが熱くなり、結果、合格できたことにもできなかったことにも泣いたものでした。

わたしはすっかり、「なるほど“東大”とやら、さては日本全国から、各学校でもトップクラスの面白人間が結集し、しのぎを削る天下一武道会のような場所なのだな!なんて魅力的なんだ・・・」となぜかアニメ『ドラゴンボール』も混ざって大興奮。自分も東大を目指すと宣言したのです。ところが両親は大反対。「(地元の)九大に、実家から通うもんだ」と決めてかかる教育方針への反抗心から、自室に引きこもって猛勉強するようになり、勝手な希望を燃やして東大受験に挑みました。受験会場で試験開始前、両拳を強く握り締めるわたしに試験官の女性が「そんなに緊張しなくて大丈夫よ、リラックス~」と優しく声をかけてくださったのに「いえ今、スーパーサイヤ人に変身するイメージで集中力を高めていたところです」なんて言えず、ぎこちなくはにかむしかなかった恥ずかしさを妙に憶えています。なんやかんやで結果合格。今振り返れば両親の心配や金銭的負担を顧みなかったことを反省もしますが、母は困ったように「おめでとう」と言いながら上京を支援してくれました。父からは「大学がどこかなんて関係ない。お前が何者になるかだ」とだけ言われ、もっともだとしか思えませんでした。テレビ好きな、良い両親の元に生まれてよかった。(*父の近年の自慢は、ドラマ『相棒』を全話録画し所有していることだ。)

大学入学後には、木村拓哉さんが新進気鋭の建築家を演じたドラマ『協奏曲』を観て心をときめかせ、意気揚々と建築学科へ進学。以前から建築や美術方面には興味があったものの、趣味ではなく進路として考える背中を押されました。ちょうど安藤忠雄さんが教授に就任された、記念の年です。安藤先生ご本人のガイドで巡る安藤建築作品ツアーなんて豪華な研修旅行も経験もできました。その道中、ある空間で倉俣史朗さんの名作チェア「ミス・ブランチ」の本物を初めて見た、あの美しさは忘れられません。のちに、インテリアの道へと導いてくれたような気もしています。

ずっとテレビにワクワクし、笑い、泣き、学び、突き動かされ、共に歩んできました。おかげで、テレビ愛を語り合える、無二の親友とも出会えました。最近感動したのは『とんねるずのみなさんのおかげでした』最終回のラスト。これからもわたしは、テレビを楽しみにし続けることでしょう。

朝、テレビを観ないことにしたのは、テレビを嫌いになりたくないからかも知れない。

最後に、オマケの小ネタです。テレビのリモコンは、なるべく埃が付かないように伏せて置く。

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「アップデートする暮らし」第4回:鉄のフライパンに、誤解を詫び愛を叫ぶ

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鉄製のフライパン。料理好きな方々がたびたび、愛用品として紹介されています。格好良くて、素敵です。

けれど前々からわたしには、なんとなく「焦げ付きやすそう」「熱そう(ミトンを使うのは面倒)」「重たそう」「お手入れが難しそう」といったイメージが。どうも億劫で、敬遠してきました。

現代には、研究を重ねてガッチリ表面加工された、軽くて使いやすい優秀なフライパンが、あまた存在するではありませんか。

・・・・・・ところがある日、ドーのお店で好評の「工房アイザワ ブラックピーマン 鉄フライパン 16cm」を、CLASKA ONLINE SHOP でも取り扱うことになりました。

鉄のフライパンと、おっかなびっくり、初めて対峙する時が来たのです。

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CLASKA ONLINE SHOP で商品をご紹介する際には、必ず自分で実際に触れたり、使ったりしながらその魅力を理解し、撮影し、解説を書くようにしています。

取扱説明書を読み、ふむふむ・・・。「から焼き」など、使い始めに必要な手順を踏みまして、いよいよ。まずはシンプルに、目玉焼きを作ってみましょう。

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焼き始め。いきなり焦りました。

火の通りが、驚くほど早いのです。これまでの料理経験による焼け具合のイメージ映像を1.3倍速の早見再生で見ているような体感のうち、あれよあれよとプクプクこんがりツヤツヤはい、出来上がり。「鉄は熱伝導率が高い」という特徴が、知識ではなく実感としてズドンと腹に落ち、目を見張ります。

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いざ、実食です。食べて、さらに驚きました。

これまでにわたしが経験してきたどの表面加工のフライパンよりも、確実に、各段に、感動的に、美味しく焼けている。どうしたこの絶品。いつもと同じ卵と油を使った、ただの目玉焼きなのに。卵の味が、濃く深く感じられる。底はこんがり焼けて引き締まりなんとも香ばしい、と思いきや上はふっくらトゥルントゥルン。何より、炎と鉄の力強さがそのまま風味となって口いっぱいに広がる。目玉焼き史上最高の幸せに、わたしの体の全細胞が歓喜と祝福のスタンディングオベーションを送ったのでした。

おそるべし、鉄のフライパン。

自分が焼いたとは信じがたいほどの、助力。まるで突如、自分が料理名人になったかと勘違いして悦に入ることのできる、魅惑の道具だったのです。見事、心を射抜かれ、撮影後も続けて日常生活で使ってみることにしました。

するとこれまた目から鱗がぽろぽろと。以前抱いていたネガティブなイメージは、ことごとく誤解だったことが判明。次々と晴れていったのです。

「焦げ付きやすそう」
→最初だけ用心。使うたびにどんどん焦げ付かなくなる。

「熱そう(ミトンを使うのは面倒)」
→持ち手はそこまで熱くなく、素手で持てた。

「重たそう」
→小ぶりなサイズと薄さのおかげもあってか、軽々と持てた。

「お手入れが難しそう」
→知れば簡単。お湯で流し火で乾かし、油を塗るだけ。洗剤で洗わなくていい。

なんと、うれしい拍子抜け。これなら、ズボラなわたしにも愛用し続けられるという自信が湧いてきました。

それに、もちろん表面加工のフライパンの方が手軽で便利ではあるのですが、使ううちに必ず劣化したり剥げてきたりしてしまい、数年毎に買い替えが必要でした。

一方で鉄のフライパンは、使うほどに油が馴染んで層をなすため、劣化せず長持ちするどころかむしろ成長していく。大事にすれば買い替える必要がない一生物なのだ、と知ることもできました。

考えてみれば。どんなに表面加工技術が発達しても、昔からある鉄のフライパンが、変わらずずっと作り続けれられ、現代に残っている。愛用者を魅了し続けてきたのだという事実が何より、その実力を証明していると言えましょう。気づくまでに随分年月がかかってしまいましたが、先人に敬意、歴史に感謝です。

工房アイザワ ブラックピーマン 鉄フライパン 16cm」2,160円(税込)。この小ぶりなサイズ感と手軽さがまた、鉄のフライパンデビューにぴったりでした。

以来、魚に肉に野菜にきのこ、何でも素材をただ焼き、軽く塩をふるくらいで味わうのがいちいち美味しくて、うれしくて。

本来、調理後は「すぐに料理を器に移し、フライパンが温かいうちに洗うべし」なのですが、わたしの場合は出来立て熱々のところを一刻も早くハフハフ食べたいのでフライパンごと食卓に載せ、少々お行儀が悪いですが(スキレット感覚で)直接食べ、食べ終わってから洗っています。でも大丈夫。そこまで律儀に使い方を守らなくても付き合っていける包容力。とはいえ油は忘れず塗ってあげることで増す愛着。それも実際に使ってみて、初めてわかりました。もはや毎日使うようになり、すっかり慣れたので、(CLASKA ONLINE SHOP で取り扱いのない)大きなサイズのものも入手したところです。

面倒臭くて付き合いにくい堅物だとばかり思い込んでいた君よ、これまで長年、誤解してきてほんとうに申し訳なかった。せっかちで食いしん坊でズボラなわたしが、出合えてよかった鉄のフライパン。今は、食卓の中心で愛を叫んでいます。

 

(※鉄のフライパンは、油を使って「焼く」以外の「煮る」「蒸す」などは得意ではないので、手持ちの表面加工のフライパンや鍋と併用しています。)

「アップデートする暮らし」第3回:堀井和子さんから教わった、テーブルクロスの使い方

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CLASKA ONLINE SHOP の「FEATURE / 特集・読み物」コーナーに、堀井和子さんの「いいもの、みつけました!」という連載があります。

堀井さんが日々の暮らしや街歩きの中で見つけた、いいもの、美しいものを報告してくださる、写真と文のお便り。

毎回、写真の美しさにはっと息を呑み、文の心地よさにうっとりしながら、うれしく掲載しています。

どうしたら堀井さんのように、世間の口コミ・評価や偏見のフィルターを通さず、古いものも新しいものも有名無名も問わず、自身の目と心が素直に喜ぶものを選び抜くことができるのでしょう。その比類ない視点から発見された、素敵なものと出合うことができる喜び。センスとは何かという学びに満ちた場です。ぜひご覧いただけたらと思います。

 さて。我が家では、木製のダイニングテーブルに、テーブルクロスを敷いて使っています。

最近、淡く爽やかな色柄のテーブルクロスを買いました。食卓も、季節に合わせて衣替え。春を先取りするようなウキウキした気分で敷き替えた、ところが、そのわずか2日後、朝食時にお椀を持つ手が滑り、お味噌汁を派手にぶちまけてしまったのです。ガーン!

敷いて2日目・・・・・・、泣きそうになりながら大急ぎで洗濯し、干してからトボトボ出社。

そんな情けない失態を、思わず堀井さんにご報告したのでした。

“堀井さんのテーブルクロスのコレクションは数十年経ってもきれいに保たれていて、それはおそらく食事の所作自体の美しさや緊張感からして違うのだと、反省しきりです。”

そう、堀井さんのテーブルクロスのコレクションといったら!

以前「堀井和子さん、テーブルクロスについて教えてください。」というインタビュー取材の際にも、素晴らしい所蔵品の数々を資料で見せていただきました。

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加えて例えば、連載「第21回:白いおまんじゅう/白いポロシャツ/オオシマザクラ」に載っているテーブルクロス(下の写真)はマリメッコの "BASSO"。1975年~製造。なんと40年以上も昔に作られたテキスタイルですが、今なお新鮮でとても格好良く感じられます。

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本日3月15日(木) に公開したばかりの最新記事「第44回:MARISCAL のテキスタイルと料理の本/ネズの木のカゴ」に登場する鮮烈な印象のテキスタイルは、1990年頃に買われたのだそう。こちらも約30年も前のものです。

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どうしたらこんなにきれいな、良い状態で使い続けられるのでしょう。

・・・・・・すると数日後、堀井さんから一通の封書が届きました。

開けると中身は、驚いたことに、堀井さんお手製の「テーブルクロスの使い方解説書」だったのです!

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堀井さん宅の多彩な食卓風景の写真が印刷され、どんな風にしてテーブルクロスをきれいなまま楽しまれているのか、手書きの解説文が添えてあります。お味噌汁ぶちまけ小僧のわたくしめに、なんという有り難きお教え!

光栄と感激に震えながら、しかしこの秘伝の書をわたしだけのものにするなんてもったいないですのでと、堀井さんから許可を得まして、皆さんと共有したいと思います。(以下、『太字』が堀井さんのお言葉です。)

テーブルクロスを使っていると、トレー、お盆が必需品に。

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飛騨春慶の丸盆、ステンレスのトレー、木のお盆。テーブルクロスや天板の上に食器を直置きするのではなく、原則としてこのようにお盆やトレーを使ってらっしゃったとは!いやあ、なるほど・・・・・・と深く納得。それに、汚れを防ぐために機能的であるということを超えて、トレー・お盆とテーブルクロスや器との組み合わせが凛と格好よく、素敵です。

我が家では、テーブルクロスの上にランチョンマットやセンター、トレーを重ねて使っています。朝食は、ティーカップにはソーサーが付いているので、ジャム・マーマレードだけアクリルのトレーの上に置くくらいでも大丈夫。

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「トレー」と一口に言っても色々。このように透明なものなら、それなりの面積があっても下のテーブルクロスが透けて見えるので色柄を楽しめますし、存在感が軽やかで邪魔にならないですね。アクリルの涼やかな輝きや、上に載せたものの浮遊感も面白く見えます。ガラス板も、いいかも知れない。春夏の食卓で真似したいアイディアをいただきました。

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夕食の、特に味噌汁や煮物、トマト系のパスタの時は、トレーやお盆、ランチョンマットを使います。案外、和食のメニューは、取り分ける時や、椀や器の底部分、要注意です。

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テーブルクロスの上にテーブルセンターとランチョンマット、2枚重ねにすると、確かにより安心です。さらにそれぞれ様々な色柄を持っておくと、組み合わせによって、食卓の風景のバリエーションがものすごく豊かに広がりますね。

そんなにしょっ中、大きいクロスを洗濯するのは大変なので、クロスの使い始めは少し気をつけ、後半はランチョンマットなしのコーディネートを楽しんで、それから洗濯へ。

最後に、

自分が楽に、クロスの色とデザインを楽しめたら一番です。

と括られていたのでした。

はぁぁ、とても、とても勉強になりました。「楽に」、「楽しむ」。それがいちばん大事。

美しく、美味しい食卓とは、人に(自分にも、家族や客人にも)緊張の負担を強いるようなものではない。まさにわたしの場合、おろしたてのテーブルクロスを汚したくないというガチガチのプレシャーが災いしました。

「少々こぼしても、テーブルクロスの代わりに受け止めてくれるものがある(大きなテーブルクロスよりも、楽に洗ったり拭いたりできるマットやトレーがある)から大丈夫」という心の落ち着きと余裕があれば、所作もリラックスして優雅になり、こぼすこと自体、減るというものでしょう。

これまであまり探したことのなかったトレーやランチョンマットが、今はどんどん視界に飛び込んでくる。大好きなテーブルクロスや器と過ごす食卓の風景を、もっと試そう。目に、心身に、滋養が行き渡る食事を。もっと楽しんでいこう、という思いを新たにしています。

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写真は、いつかの我が家。テーブルは、木工作家 吉川和人さんの栗の木のライティングデスク。テーブルクロスは、堀井さんとCLASKA Gallery & Shop "DO" が作った「テーブルクロス 210×110 格子柄 グレー」です。

 

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「アップデートする暮らし」第2回:お風呂掃除の真実

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お風呂掃除は面倒で苦手、と思っていました。一昨年くらいまでずっと。

汚れてきたかぁ、しかたないなぁもう、という頃合いでしぶしぶ重い腰を上げ、お風呂用洗剤とスポンジを使ってゴシゴシ・・・ふぅ。

そもそもお風呂場って、どうして汚れるんでしょう。汚れる理由なんて、あります?

いつも出る時、シャワーで床も壁も鏡もきれいに洗い流しているのに。

いつの間にか忍び寄る、汚れのサスペンス。
風呂場という密室のミステリー。

その謎を、解き明かしたい。

第2回:お風呂掃除の真実

ヒントは、思いがけない所から。ふたつの、重要な証言を得たのです。

【証言、その1】

ある日テレビで、情報バラエティ番組を観ていた時のこと。お風呂場の鏡についたウロコ汚れをきれいに落とす方法として、“デニムの端切れに歯みがき粉をつけて磨く”やり方がVTRで紹介されました。

「ふぅん、こんど試してみようかな」なんて頭のメモに留めていたら、そのVTR明けにスタジオのMC 今田耕司さんが、ボソッとこんなことをボヤかれたのです。

なんで?風呂場の鏡なんて、
毎回出る時ぱぱっとタオルで拭きゃ、
そもそも汚れへんやん。

ちょ待っ、え。それって・・・どういうことー!?

【証言、その2】

ほぼ日刊イトイ新聞で、福山雅治さんと糸井重里さんが対談された「望まれた役をする”劇団福山雅治”」を読んでいた時のこと。最終回(第7回)での、福山さんの発言です。

でも、僕は必ず風呂から上がる時、
シャワーから出る時というのは、
必ずT字ワイパーでシャワールームの
壁と床の水切りをしてからじゃないと
お風呂を出られない男なんです。

どういうことー!?いったいそれは、どういうことなんだ・・・。

一流のきれい好きと拝察するおふたりによる、貴重な証言。それも偶然、近い時期で、印象に残ったのでした。

今田さんはお風呂場の、鏡を「拭く」。福山さんは、壁と床を「水切りする」。

「洗う(洗い流す)」のでは、なくて?

――さあ、ここから推理です。

お風呂汚れの謎を解く鍵はひょっとして、このふたつの証言にあるのではなかろうか・・・。証言の真意に、思いを巡らせます。

「拭く」ことと「水切りする」こと、このふたつの行為に共通する目的とは・・・。点と点が、線で繋がったその瞬間、わたしはついに、お風呂掃除の、真実をつきとめたのです。

お風呂汚れの原因は、シャンプーや石鹸が残ったのでも、身体から出た垢でもなんでもなく、「水」そのものだ!

きれいな水で洗い流して自然乾燥する、という当たり前に、疑問を持ったことなんてなかった。けれど、きれいだと思っていた水が鏡や床の表面に「水滴」として残っていると、その蒸発した跡こそが「水垢」になるのだ。

だからおふたりは、拭いたり水切りしたりして「水滴を残さない」ことで「水垢を作らない」。

汚れを未然に防ぐ。ゆえに掃除は不要。


謎が、解けたぞーーー!!(鳴り響く歓喜のファンファーレ)


そうとなったらいざ、マイクロファイバータオルとT字ワイパーをお風呂場に装備。

毎回出る時に、タオルでささっと、鏡と水栓についた水滴を拭き取ります。ワイパーでしゃしゃっと、壁と床の水を切ります。所要時間、ものの30秒くらいでしょうか。

・・・なんと。これだけで、驚くほど汚れなくなりました。当然乾きが早く、カビも生えない。以前のように洗剤を使った掃除はもはや、ほとんど必要なくなりました。お風呂汚れの悩みからの解放感、入る時に毎回きれいな気持ちよさ・・・・・・感動です。

いや、もしかしたら、「たまに掃除するよりも、毎回出る時に拭くほうが面倒」とお感じになる方もいらっしゃるかも知れません。幸い(?)わたしの場合、ふだん毎回出る時にバスタオルで身体を拭くのを面倒と感じたことはないと思い当たり、身体を拭いた無意識のまま、流れで鏡も拭く、というイメージをしたら楽に習慣づきました。

そうして体得、納得した結論再び。

長年に渡って難儀だったお風呂掃除問題を解決した真実とは、どんな掃除方法でもなく、「掃除しなくていいようにする」だったのでした。

以上、「アップデートする暮らし」第2回。お読みいただきありがとうございました。あくまでわたしにとっての真実であって、誰しもにベストな解というわけではないかと思いますし、わたしも今後やり方を変えるかも知れませんが、この「掃除しなくていいようにする」発想は以降、家の中の他の場所をきれいに保つことにも役立ち、助かっています。

諸先輩方からしてみれば「おいおい、今ごろ知ったんかい?」という当たり前のことなのかも知れませんが、なにぶんマイペースな気づき方とアップデートです。

まさかの今田耕司さんと福山雅治さんに、掃除面での感謝を忘れない。

 

 

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