Watering

CLASKA ONLINE SHOP 速水真理のブログ

「アップデートする暮らし」第11回:コートの新調

f:id:claskaonlineshop:20181001103317j:plain

冬用のコートを新調しました。17年ぶりに・・・。

(左奥が旧、右手前が新)

大学を卒業したとき「いつかこんなコートが似合う大人の女性になりたい」と志し、デザイン面でもお値段面でも思いっきり背伸びして買った濃紺のロングコート。

それを、気づいたら17年間(!)、着続けていたのです。

途中、他のコートに浮気して、このコートを着なかった冬もあったと記憶しています。でもまた戻って。

他のコートは飽きて処分したり売ったりしてしまったのですが、このコートだけはなぜか一向に飽きず。結局、冬用のコートはこのただ1着だけ。手元に残りました。

確か2~3年前にも、若い人から「そのコート、形きれいですね」と言ってもらえたことが。「デザイン的に古い感じはしてないんだな」と、嬉しかったりしたものです。

しかし昨年になっていよいよ一気に、物理的な劣化の波がやってきました。裏地やポケット内の化学繊維の部分が、ビリビリに裂けボロボロと崩壊し始めたのです。

「ひええ、これが化学繊維の死に際か〜」と恐れおののきつつ、お直し屋さんに駆け込みました。表地は平気ということで、裏地だけぜんぶきれいに張り替えていただいたところ、まさかの新品同様に。不死鳥のごとき復活を遂げたのでした。よし、まだまだ着られる。

ということで18年目の今年も「コートを探す/買う」必要はゼロ。

それが思いがけず、まったく予定外に、新しいコートを買うこととなったのです。"Dessin de Mode" の、黒いコクーンシルエットのコートを。

"Dessin de Mode" は、2016年に立ち上げられたばかりの、日本のファッションブランドです。そんな最新のブランドをなぜ知り得たかというのも、CLASKA のスタジオを使って今年の2月に2018AW展示会を(その後7月にも2019SS展示会を)開催してくださった、有難いご縁から。

とはいえここで言う「展示会」とは、セレクトショップのバイヤーさんなどの取引先を招待してコレクションのお披露目と商談を行う機会であって、一般には公開されていません。

本来であればわたしたち CLASKA スタッフであっても立ち入れる場ではないのですが。会場を担当した営業の大槻さんがオフィスで「Dessin de Mode、ヤバい。格好いい。皆にも見て欲しい。絶対好きだと思う」と騒ぐのです。大槻さんといえば相当な服バカ・・・じゃなくて、ファッションアディクトでお洒落さん。彼がそこまで言うんだったら、そりゃ気になってしょうがないし見たいに決まっています。

皆で懇願したところ、先方様のご厚意により、特別に見せていただけることに。やった〜!と喜び勇んで会場へ一歩足を踏み入れた途端、ずらりと並んだ服が放つ輝きに目を見張りました。

シンプルでベーシックなアイテムの中にも、品の良いモード感と甘くないエレガンスが光っています。デザイナーさんは元々、パリ発の某ビッグメゾン(憧れの有名ブランド)にいらっしゃった方なのだそう。宮内庁に納められている生地を使うなど、日本の良質な素材と高い縫製技術への誇りとこだわりも伺い知り、納得です。スタートしたばかりのブランドのフレッシュさとは良い意味で裏腹な、格調高さと信頼が感じられる服だと思いました。

どれもこれも着てみたい。いろいろと試着させていただく中、わたしの歴史が変わる瞬間は、唐突にやってきたのでした。

「(これまで17年間着てきたコートよりも)今年からは断然これを着たい!このコートが似合う人になるんだ!」

という意志とワクワクがドンと湧く一品に出合ってしまったのです。鏡の前で回ってみては、止まってみては、ポケットに手を入れてみては、ため息が出るほどときめきます。ああなんて素敵なんでしょう。こうなったらもうどうしようもありません。参りました降参です。そもそもコートというアイテム自体を必要としていなかったのに、即決。自分でもちょっと驚きました。

そうして今年2月にオーダーさせていただいたコートが先日ついに出来上がり、届いたのです。

半年以上まだかまだかと待ち焦がれるうちにイメージが高まりすぎたかと思いきや、展示会で拝見したときの感激そのまま。あらためて感動。とっても気に入りました。まだ秋になったばかりなのに、早く寒くならないかしらと楽しみにしています。新しいコートと、新しい冬。

実はかねがね、実家の母親から「あなたは家具だアートだと家の中の物には思いっきりお金をかけてる様子だけど、そんなことよりきれいな服やバッグや靴を買ってもっとお洒落しなさい!女の子なんだから!」なんて、いい歳をして口酸っぱく言われ(心配され)続けてきました。今回は「お母さん、コート買ったよ~!」という、主に故郷へ向けたアップデート報告です・・・。

コートの新調を契機に、また先代のコートに対してあらたまる感謝とリスペクトもあって(まだしつこく着ると思いますが)、最近は「次の10年20年」使うことを大いなる目標とした買い物に取り組んでいます。服に、靴に、アクセサリー。10年20年後、どんな物が似合う自分になりたいか。50歳60歳になった自分の装いに採用される物を、今選べるかどうか。自分のことなのに、難しくて楽しいです。

 

www.claskashop.com

「アップデートする暮らし」第10回:道を聞かれる人になる

f:id:claskaonlineshop:20180830185935j:plain

ラジオDJ・ナレーター 秀島史香さんの著書『いい空気を一瞬でつくる 誰とでも会話がはずむ42の法則』を読んでいたら、<第1章「話すとなぜか気持ちいい」人たちが心がけていること>の締めに、

10 道を聞かれる人になる

私にはひとつ、人生のテーマがあります。
それは、「人に道を聞かれやすい人になること」。

から始まる節があり、「こっ、これは・・・・・・、ものすごい表現だ!!」と、雷に打たれたような衝撃を受けました。

「こんな人になりたい」と憧れ思い描く人物像として、「道を聞かれやすい人」なんて、聞いたことがありません。しかも、「道を聞かれたら親切に応えられる人」ではないのです。それより手前の段階の、「道を聞かれやすい人」。それっていったいどういうことなんだろう?・・・と読み進めていったら、とっても深くて、心温まるお教えが書かれていたのでした。

詳しくは、本書を読んでいただくとして。

「道を聞かれやすい人」って、どんな人。

聞かれる側より、聞くほうの立場で想像してみると、わかりやすいかも知れません。もしも、自分が知らない土地で道に迷い、知らない誰かに尋ねるとしたら。どんな人に声をかけるでしょう?

怖くなさそう。急いでなさそう。イライラしてなさそう。・・・。

周りにいる人たちをぱっと見渡し、あらゆる印象を瞬時に、総合的に(かつ勝手に)判断し、大丈夫そうな人に、声をかけることと思います。

そのときに、選ぶ人物像。

要するに「初対面でも話しやすくて、心に余裕のある、にこやかで感じのよい人」という、抽象的かつ複雑で難しい、総合的な印象に関するテーマを、秀島さんはズバリ「道を聞かれる人」というひと言に集約し、象徴されていたのです。

なんてわかりやすい上に、粋な示唆なのでしょう。たくさんの初対面のゲストやスタッフの方々と楽しい番組を作ったり、大物アーティストや大御所芸人さんたちへのインタビューを弾ませてきた秀島さんならでは。秀島さんの「喩える力」への憧憬もあまって、身悶えます。「道を聞かれる人になる」―― 言葉のお守りのような気持ちでスマホのメモに書き留め、保存したのでした。

そうしてまた日々を過ごし始めると、そういえば1人で道を歩いているときに自分は人からどう見えているのか、ろくに意識していなかったことに気づきだしました。地面を見がちだし、真顔だと口角が下がり気味で怖い顔になっていたかも。なるべく前を向いて、口角をうっすら上げてみるか。せかせかせず、ゆったり歩いてみるか。

そんなある日の朝、自宅から CLASKA まで徒歩で出勤する途中で、おばあさんから「ちょっとお尋ねしますが・・・」と話しかけられたのです。

(おおっ、道、聞かれる気配?)

「目黒区の〇〇センターまで行きたいんですが・・・」

(やったー!聞かれたー!)

「それならちょうど今向かっている会社のすぐ近くなので、一緒に行きましょう」

無事、お連れできました。うれしい~。朝からなんだかホカホカとした気持ちで過ごした、その日の夜。会社帰りになんと、また別のおばあさんから「ちょっとお尋ねしますが・・・」と話しかけられたものだからびっくりです。同じ日に、行きと帰りで2回も道を聞かれることって、あります!?

「〇〇駅まで行きたいんですが・・・」

「それならちょうど今向かっている家のすぐ近くなので、一緒に行きましょう」

(・・・って、えー!?)

またも、まさかの「ちょうど今そっちに行くところ」でした。両方とも、道順が少々複雑でお教えするのが難しかったこともあって、一緒に行っちゃった方が早いし安心確実だしでラッキー。よかったものの。神様からドッキリのモニタリングをされているような、不思議な気持ちで家路についたのでした。

道を聞かれること自体は、以前までにも、たまにありました。けれど、知らない人に声を掛けられてビクッと構えてしまったり、オドオドしてしまっていたのが正直なところでした。それが秀島さんの本を読んで以来、「“道を聞きたい人”に、当選ありがとうございまーす!」という喜びに変わったのが、今回のうれしいアップデート。道の答え方も、前より堂々とできるようになりました。

それはそうと。また別の日に、ちょっと驚いたことがあったのでした。公園でジョギングしていたら、おばあさんから呼び止められ、公園内の施設への道を聞かれたのです。その場でオイッチニ、オイッチニ、と足踏みを続けながら「それなら次の角を右ですよ~」とお答えできたものの。

なんでまた、走っている最中に。周りにいっぱい、歩いている人がいる中で。いやまあ確かに・・・、わたしは走るのが遅いです。走り始めから「24時間テレビのマラソンランナーの、最後のほう」みたいな走り方です。ただ、速度自体は徒歩に限りなく近くとも、自分としては走っているように見えているイメージだったので、ちょっとだけ凹みました。走るのが遅くて道を聞かれてしまったのは初体験でした。走るの、好きなんだけどなあ。頭の中で「負けないで」と「サライ」を歌い、自分を励ましながら続きを走りました。

 

www.claskashop.com

「アップデートする暮らし」第9回:海水浴の上達

f:id:claskaonlineshop:20180818124806j:plain

海が好きです。この夏は、海水浴の上達に取り組みました。泳ぎの上達ではありません。海水浴の、楽しみ方の上達です。

なぜなら去年、海水浴で大失敗。今年はそのリベンジに燃えていたのです。

海水浴に「失敗」も「成功」もないだろうとお思いの方。わたしも「失敗って、あるんだな」とショックでした。

忘れられません。

ちょうど1年前の8月半ば。それはそれは楽しみな夏休み。とにかくきれいな海でのんびり泳ぎたい。ワクワクと、旅の計画を練りました。

行きたい海水浴場を前々からネットで探し、海の近くの宿も予約し、いざ出発当日の朝、家からワンピースの下に水着を着ていく張り切りっぷりで電車に飛び乗り、千葉の先の方へ。

そこにはずっと憧れ夢見てきた、抜けるような青空、眩しく照りつける太陽、サラサラの白い砂浜、どこまでも透き通りキラキラと輝く穏やかな海・・・・・・は一切無く、どんよりと低く垂れこめた灰色の雲、ぐずぐずに湿った茶色の砂浜、波風荒く濁った海が広がっていたのでした。

なんということでしょう。

確かに天気予報で、前日まで雨だったことも、当日は曇りであることも、情報としては分かっていたはずながら。頭の中のイメージは完全に、ネットで見ていた写真通りの「青い空・青い海」で、楽しみで、いっぱいでした。悪天候の場合もあるという、当たり前の、目の前の現実を、すんなりとは受け入れられません。自宅からかれこれ4時間近くかかってようやく辿り着いた、泥の波打ち際に立ちすくみます。

でも・・・、せっかく来たし・・・、いちおう・・・、入っておくか・・・。まばらではありますが、泳いでいる人も、いないわけではありません。

泳ぐとなったら心配なのは貴重品。とはいえ「いちおう入っておく」程度の少しのあいだ荷物を海の家に預けるのも面倒なので、ビニール袋に財布やスマホ・家の鍵などの貴重品を入れて砂浜に埋め、その上にバッグを置きました。これなら万が一バッグを盗られたところで大したものは入っていないので安心です。

そうしてワンピースを脱ぎ水着になったものの。水面にちゃぷっと足先をつけたら「冷たっ!」、おそるおそる進んで肩まで浸かれば「さむっ!」、高い波にザッパーンと張り倒され砂浜に打ち上げられたものだから「ぎゃん!」、泥水がゴボッと口に入り「からっ!」となった、一連の30秒ほどで「やめだやめだー!」とプンスカ上陸したのでした。

「苦汁をなめる」とはまさにこのこと、と開眼するほど苦い潮をなめました。

わたしはいったい何をしに来たんだろう。落ち込みます。がっくりうなだれ、仕方なくコインシャワーを浴び、のそのそ着替え、途方に暮れそうになったところで、いやいやドンマイ。海水浴の後、宿へチェックインするまでの間にと、別のお楽しみも用意していたのです。鴨川シ―ワールド。海水浴場と水族館が徒歩圏内にあるという点こそ、この地を選んだ決め手なのでした。

海水浴1本勝負ではなく、水族館とのコースを組んでおいてほんとうによかった。我ながらナイス。予定より早い時間だけれど、とっとと鴨川シ―ワールドへ向かおう。気を取り直して、水族館の方をたっぷり楽しもう。そうとなったら足取りも軽やかに。ずんずん歩いてゆきます。

しばらく経って、はっと息が止まりました。

貴重品ぜんぶ、砂浜に埋めて隠した。埋めたけど、掘り出してない。埋めた場所の目印として上に置いてたバッグ、いま持ってる。埋めた場所、もうわからない。

・・・・・・って嘘、バカ!?

慌てて来た道を引き返します。

わたしのバカ、バカーッ!!

砂浜を、こけつまろびつ、走って、走って。泣きそうです。

周りの風景や物との位置関係はどうだったろう・・・。おぼろげな記憶を辿り、おおよその場所に見当をつけたものの、埋めた跡がきれいで見分けがつきません。自分の妙な几帳面さがとんでもなく恨めしい。四つん這いになり、そこらじゅうを手当たり次第に掻きまくります。

ここ掘れワンワン、ワンワン、ウワーァァン・・・・・・(涙)

そうしてようやく掘り当てることができた暁には、安堵よりも情けなさと徒労感でトホホ・・・でしたとさ。

いやあ、失敗失敗。すでに海水浴シーズンも終わり頃、その夏たった1回きり出かけた海でのことでした。わたしは翌年のリベンジを強く胸に誓い、肝に銘じたのです。

【失敗した海水浴からの教訓】

1. 前もって計画しない。当日の天気で決行を判断する。
2. 泊りがけの予約はしない。日帰りで行ける近場を選ぶ。
3. 海の家の利用をケチらない。荷物は預け、安心して遊ぶ。

この3箇条を守り、今年は海水浴に成功しようではありませんか。

晴れた休日の朝。いざ、森戸海岸(神奈川・葉山)へ。念願の、青い海を目の前に、心が震えます。

沖に向かってスーイスイ。仰向けになってプーカプカ。ああ、なんて気持ちがいいんでしょう。夢中で繰り返します。去年のぶんも思う存分、好きなだけ、気が済むまで、飽きるまで、疲れ果てるまで、お腹がペコペコになるまで、いくらでも泳いで、浮かんでいよう。

しかしどれだけ泳いでも飽きないし、泳ぐ以上に浮かんで休憩しているからか、疲れる気配がないもんだなぁと見上げれば、お天道様がてっぺんに昇っていました。朝10時頃からだから、よくまあ2時間も海面を漂っていたものです。十分。満足。

お昼ご飯にしましょう。海の家で荷物を受け取り、シャワーを浴びて着替え、海を見晴らせる木陰のベンチに陣取ります。

持参した保冷バッグからおもむろに取り出すは生ハムとブリーチーズ。家で炙ってきたバゲットに挟み、白トリュフオイルをたらり。水筒には冷えた赤ワインを詰めてきました。サンドイッチはぐはぐ、赤ワインくぴくぴ。最高です。暑さで生ハムの脂とチーズがとろりと柔らかく溶け出してくるのもまたよし。

去年のリベンジ、海水浴の上達、大成功~。インスタグラムをやっていないのにインスタ映えっぽい調子に乗った写真も撮ったし、ご機嫌で家路についたのでした。

さて。お盆を過ぎ、秋の気配が感じられるようになりました。今年はこんな風にして2回行った海水浴。来年は何回行けるだろう。どこでどんな風に楽しもう。早くも次の夏と海が恋しくなっています。

f:id:claskaonlineshop:20180818124824j:plain

 

www.claskashop.com

「アップデートする暮らし」第8回:ボーナス全部でアートを買う

f:id:claskaonlineshop:20180705160934j:plain

わたしは今、興奮しています。生まれて初めて、アート作品を買いました。ボーナス全部をつぎ込んで、2作品。

決して周りからそそのかされ男気を試されたのでも、何かの勝負に負けた罰ゲームでもありません。自ら、すすんで買いました。なぜなら・・・・・・、最近、ふと思ったのです。

生活をするのに必要な物なら、あるっちゃある。むしろこれまでさんざん買ってきました。ちょっとやそっとじゃ、もう欲しくない。大人になりました。だから

この先何のために生きて働いてお金を使いたいか考えたら、「美と芸術に触れ、心を震わせるためしかないじゃないか!」と

奮い立った、思い切った、買ったった。このドキドキとときめきったら、なんたることでしょう。

2作品のうちのひとつは、小村雪岱の「青柳」。

出合いのきっかけは、CLASKA Gallery & Shop "DO" ディレクター 大熊さんによる、雑誌『Discover Japan』での連載記事でした。ご自身が小村雪岱の大ファンだと触れられていたのです。

「なぬ、小村雪岱、とは!?」と寝耳に水の無知を恥じ、慌ててコソコソGoogle画像検索するわたし。表示された日本画の数々に、目を見張りました。これほどまでに自分好みな作風の画家が存在していたなんて。なのにこれまで全く知らなかっただなんて。驚嘆と痛恨と焦燥に駆り立てられ即、作品集を買い求めたのでした。

f:id:claskaonlineshop:20180705160945j:plain

届いた作品集に、夢中です。本棚へ仕舞う暇も惜しんでダイニングテーブルに平置きしたまま、ふとした時、いつでも手に取れるようにしました。(そのせいでうっかり、すっかり表紙が日に焼けてしまいましたが。)

どこからめくり、なんど眺めても、はっとするほど美しい。中でもいちばん、吸い込まれるように見入ってしまったのがこの「青柳」でした。

f:id:claskaonlineshop:20180705160953j:plain

好きすぎてそのうち、印刷では物足りなくなりました。実際の色彩や質感はいかほどのものなのか、なんとしてでもこの目で見てみたい。焦がれ猛る心、血走る眼で捜しまくった末、約80年前の複製版画(ED300のうちの1点)と巡り合い、入手する幸運に恵まれたのです。

f:id:claskaonlineshop:20180705161000j:plain

この画のどこが素晴らしくどのように好きか挙げようとすればキリがなく、挙げたところで無粋かと途方に暮れる、結果、沈黙するよりほかありません。ただただ、この風景のように静かな心持ちで暮らしていけたらなぁと、眺めるごとにしみじみ感じ入っています。

もうひとつは、先日まで CLASKA Gallery & Shop "DO" 本店で開催していたフィリップ・ワイズベッカーさんの作品展「PHILIPPE WEISBECKER WORKS IN PROGRESS」から。"KAKEMONO" というシリーズの作品です。

f:id:claskaonlineshop:20180705161009j:plain

ワイズベッカーさんが蚤の市で見つけた中国の古い掛け物から着想を得て、地の紙や軸からすべて手作りされました。身近な日用品を描いた画の妙はもちろんのこと、全体がオブジェとしてめちゃくちゃ格好いい。磁石や瓶など、10種類ほどあった中からわたしが選んだモチーフは "DUST PAN"(チリトリ)です。

禅寺のお坊さんが、庭を掃き、床を磨くことを何より大事な修行とされているように、わたしも日々ますます掃除に精進し、住まいと心の塵を取り払いたい。美しい暮らしの真理と悟りを目指す求道者として、ご本尊にチリトリを祀ろうというわけでございます。

f:id:claskaonlineshop:20180705161017j:plain

一方で、見方を変えて、チリトリの持ち手部分を人の頭としてみましょう。着物を着た人が、座っているようではありませんか?

日本の古い掛け軸によくある烏帽子姿の貴族の肖像を思いっ切り単純化したキャラクターのようにも見えてきて、なんだか微笑ましい。「菅原道真公です」と言われれば「なるほど」と頷きありがたがってしまいそうな、ほんのり雅な面白味があります。

日本人にとって古来より馴染み深い「掛け軸」の感覚からすると、あり得ない「チリトリ」なんて題の現代アート最新作。フランス人であるワイズベッカーさんのセンスによって国籍も時代も超越してしまった結果、はなから古物のように澄まして存在しているのも痛快です。100年後の未来の人たちに見せたら「なんだこれは」と驚くに違いないとニヤニヤしていますが、果たしてその頃、世界からチリトリは無くならず残っているのでしょうか・・・。

さて、冒頭で正直「生まれて初めて」アート作品を買ったと申しました。

実は・・・、これまでの人生、アートを美術館などで鑑賞することは好きでも、作品そのものを買って所有するなんて、よもや「わたしなんぞが」という、分不相応と現実味の無さを感じながら生きてきてしまったのです。服や物とはちょっと違って、畏れ多いと言いますか。それでいてここにきて、今回の2作品。生まれて初めてでいきなり生意気ながら、これまでの人生でいちばん大きな買い物となりました。

自慢するつもりは、ありません。自信、というほど大それたものでもありません。腹を括って清水の舞台から飛び降り、アホほど身銭を切った痛みと引き換えに、「わたしなんぞが」の「なんぞ」と決別できたことこそが、情けなくも感涙のアップデートとなったのです。誰にも、わたしにも、アートを愛好する権利があるんだ。そう気づいて一歩踏み出す勇気を持てたことが、うれしいのです。

にしても、「『アートのある暮らし』って、いいよね」なんてほぼ当たり前レベルの概念くらいは持ち合わせているつもりでしたが、“つもり”なだけで、ショックなことに、お恥ずかしながら、今日の今日までなーんもわかっていなかったんだと知るに至りました。アートを鑑賞することと、アートと暮らすことが、こんなにも違うなんて。美術館やギャラリーで拝見し「いい作品だったな〜」「ときどき思い出そう」くらいで関係が済むのではなく、買ってしまってから始まるリアルな付き合いと生活。もちろん惚れ込んだ作品ですから、家で目にするたび幸せ。とはいえ、これから先の日々の中で、これらの作品からどれだけ新たな魅力を発見できるか。自分はどこまでその美の境地に近づけるのか。自分がどんなに変化しても、好きでい続けられるのか。あるいは風景や空気のごとく、無意識に馴染みゆくのか。観察し学び続ける覚悟と経験を買ったような気もしています。

あ、チリトリ様に見守られているおかげで、掃除の精度はちょっと、上がったように思いますよ。笑

いや~しかし「ボーナス全部をつぎ込んで」と言いながら実はボーナス全部でも足りなくて、それ以上だったのでした。あいたたた。よっしゃー、働こう!

「アップデートする暮らし」第7回:モーツァルトと眠る

f:id:claskaonlineshop:20180514174408j:plain

睡眠の質を上げたい。特に不眠というわけでもないのですが、なかなか寝付けなかったり、眠りが浅いのか夜中に何度か起きてしまったり、朝起きたときに疲れが取れていない気がしたり。出来るだけぐっすり深く、死んだように眠り、昨日までのことはさっぱり忘れ、毎日新しく生まれ直したい。

よりよい睡眠のために、何かできること・変えられることはあるでしょうか。これまでにも、夜はゆっくり半身浴をしたり、ストレッチや足つぼマッサージにいそしんだり、ノンカフェインの温かいお茶を飲んでみたりと、リラックスして睡眠に備えてきたつもりだったのですが。

調べてみると、睡眠にとにかく良くないのは、寝る直前までの「スマホ」!同様に「煌々としたテレビや蛍光灯の明かり」。これがいかんのだという。ぎゃあ。ずばり、心当たりしかないです。

寝る前の時間の過ごし方を変えて、睡眠に改善が起こるのか、確かめてみましょう。

スマホは、寝る1時間前から見ない。

これまで下手したら、部屋の照明を消してベッドに潜ってからも何やらソワソワ触っていたスマホ。常に手元に無いと不安になってしまうなんて現代病を自覚しますが、幸いにしてわたしはスマホをチェックしないだけで社会に不具合をもたらせるほど世界の要人ではないという自覚で蓋をすれば安心です。寝る1時間前から手が届かないところに置いて、触らないようにしました。

テレビと照明も、寝る1時間前に消す。

はたと思い出させられました。いつも寝る直前までテレビと照明をつけていたせいですね、忘れていましたが、夜って、こんなに暗くて静かなものでした。電気の無かった昔の人たちはこの暗がりと静寂の中、どんな風に夜を過ごしていたのでしたっけ。頂きもののアロマキャンドルがあったことを思い出し、マッチでシュボっと火を灯します。あら、なんだかいい雰囲気。

そうして暗がりの中、キャンドルを眺めながらクラシック音楽を聴く。

なにこっ、これ、恐ろしく気持ちいい・・・!!

クラシック音楽の荘厳かつ美しい音色、キャンドルの火の温かな光とゆらめき、芯のはぜるわずかな音、アロマの密やかな香り。そこはまるでヨーロッパの古い教会(行ったことないけど)。

あくまでも、音楽のボリュームはささやかに。耳を澄ましながらぼんやりキャンドルの火を眺めていれば、神聖な空間の広がりに魂が洗われ、優美な時の流れに心は溶け出し、ああうっとり、すんなり、「あなたはだんだん眠くなる」―― 催眠術か魔法かと驚きたじろぐ隙もなく、瞼はずっしり重たく幕を垂れて炎の姿を見失い、頭の中からは考えという考えが何もかも消え去って空っぽになり、耳に聴こえているはずの音楽ももはや旋律の輪郭を崩して形をなさず、この身はただただ心地よい響きの波間をぷかぷか無力に漂うばかり。やがて静かに夢と現の境へと沈み、いよいよ風前の灯となった意識と共にキャンドルの火をふ、と吹き消したが最後、ベッドにずさっと転がり込み、そのままぐぅ、すーと寝入ってしまったのでした。

・・・・・・朝、目覚めてぱちくり。なんだか、随分、よく眠れた。昨日が遠い。

知ってしまった、この滑らかな寝落ちの快感。ぐっすり深い快眠。起きてすっきり。もうやみつきです。

モーツァルトショパンシューベルト・・・・・・。クラシックに詳しくない初心者らしくブックオフの500円以下CDコーナーで堂々のジャケ買いをしてきた中で、今のところ最も素晴らしい(聴き心地が良くて、早くよく眠れる)と感じる名曲はモーツァルトの『レクイエム』。すなわち死者の安息を祈る歌曲であるからして、眠るためにお誂え向きじゃないかという点でもお気に入りです。

時代背景と照らし合わせれば、なんとモーツァルト自身が亡くなる間際に作曲したのだそう。迫る死の予感を抱えて創作された、最期の作品だったとは・・・。モーツァルトの死後、未完の作品を弟子が引き継いで完成させたと伝えられています。と同時にモーツァルトが享年わずか35歳だったと知るに至り、さらに驚嘆しました。

35年の間に、その後全世界の人々が200年以上感動し続ける作品の数々を生み出したのか・・・。あらためて果てしないモーツァルト。遅ればせながら、他にもどんどん聴いてみたい。CDを買い足しつつ年譜や周辺を探りだしたら(あっさり横道に逸れまして)驚いたことに、「モーツァルト療法」なる健康法が存在するのだそうです。モーツァルトの音楽を聴くとその特異なる周波数により、まさに不眠症や高血圧、その他各種病気の改善に効くんですってよ奥さま。眉唾ものの感もありますが、実際のところよく眠れることをすでに体感してしまったわたしとしては、眠りの友にモーツァルトを選んだ自分の直感も捨てたもんじゃないなと悦に入ったり。(ただ毎度CDの半分までにも辿り着かず、聴き始め20分くらいで寝てしまうくせして、モーツァルトを語れないよなと苦笑したり。)

そんなこんなの睡眠改善、体験実施中。夜な夜な暗がりで火を焚きクラシックをかけているなんて怪しげな姿をよしんば人様に見られでもしたら「恐怖!呪いのクラシックかけババア」みたいな妖怪都市伝説も発生しかねませんが、なんの、この世に悔いも恨みもない、放っておけばのそのそと床に就くだけの無害なババアですのでそっとしておいていただけましたら助かります。

電気を消して、キャンドルを眺めながら、モーツァルトと眠る。炎と音楽の “1/fゆらぎ” による相乗リラックス効果なのか、瞑想状態に入りやすくなっているのか。科学的根拠が明示できず恐縮なのですが、理屈抜きでも寝つきのスムーズさや眠りの満足度がぐっと上がった実感は確かです。当面、続けてみたいと思います。寝酒を必要としなくなったことも実は、わたしにとって一世一代の大金星です。(お酒を飲むと眠りやすいとばかり思ってましたが、寝酒こそが睡眠によくないこともまた知りました。)もしよろしければ、だまされたつもりでお試しを。お子さまの寝かしつけにも良さそうな気がしますが、いかがなものでしょう。

それにしても「眠り」って、不思議なものですね。眠っているとき自体は無意識の状態なのに、起きているときの意識的な行動が如実に眠りに影響するなんて。人体は複雑、かつ素直です。

さぁ、今日もお疲れさまでした。気持ちよく、たっぷり眠りたいと思います。皆さまごきげんよう。おやすみなさい、で。すー

 

www.claskashop.com

「アップデートする暮らし」第6回:バアさんになっても食べ続けたい朝ご飯を考える

f:id:claskaonlineshop:20180413140024j:plain

『わたしがオバさんになっても』という歌が流行った頃、「オバさんになる」ことを想像すらできないほど若かったわたしもやがて、健康・美容に興味を持つ立派なオバさんへと進化しました。

今や「わたしがバアさんになっても」食べ続けたい朝ご飯を考える日々です。

朝ご飯は、必ず食べます。朝ご飯に希望すること。それはまずシンプルに、美味しい。栄養バランスが良く健康的で、心身がホッと安定する。体が温まり、1日の活力が湧く。これさえ食べてりゃ幸せだなと毎度しみじみ思う。簡単に、10分で支度ができる。食材が季節を反映し、飽きない。低コストで、持続可能。明日も朝ご飯を楽しみに起きられる。

そんなことを目指して今のところ、こんな構成に落ち着いています。

白湯/ご飯/お味噌汁/焼き魚/納豆/ぬか漬け/フルーツ/コーヒー

中でも欠かせない「納豆」が最近、思いがけず大いなるアップデートを遂げたのです。ご報告します。

もうタレには戻れない。
納豆には簡単手作り醤油麹。

CLASKA のオフィス(CLASKA Gallery & Shop "DO" 本店の隣)では、わたしたち CLASKA ONLINE SHOP のチームと、スペースレンタル営業・ウェディング・広報のスタッフが一緒にデスクを構えています。お昼どきにはオフィスの端にあるミーティングテーブルへ三々五々集まり、各々持参のお弁当や買ってきたものを食べるのが日ごろの風景です。

その中に、西川さんというウェディングプランナーの女性がいます。初めて会ったとき芸能人かと思ったくらい美人です。美人が食べているものは、気になる。チラチラ見ていると、美人はよく納豆を食べている。聞けば「納豆のタレに入っている食品添加物が心配だから、使わずに塩で食べてます。粘りもより出て、美味しいですよ~」なんて言うもんだから、たまげました。まだ20代の若さにして、その健康意識の高さ。と同時にわたしは、

「納豆に付いているタレを“使わない”なんて発想、まったく無かったわー!!」

・・・・・・と衝撃を受けたのでした。

物心ついてから30年以上、何の考えも、ましてや疑いもなく、納豆には付属のタレをかけてきました。なぜなら付属しているから。納豆の味≒タレの味。あの、納豆と一心同体のタレを使わない選択肢があったなんて・・・・・・愕然です。かけるものは自由だなんて・・・・・・革命です。

それにしても。不肖わたくしもここのところ一丁前に食品添加物を案じ、無添加の調味料を選んだり加工食品は買わないようにしたり、心掛けてきたつもりでございます。ところが納豆のタレは、完全に、盲点でした。「納豆=健康そのもの」というイメージの内に、タレの存在は包み隠されてしまっていたかも知れません。納豆3パックを束ねてある、成分表示が記載されたあのカバーは外して捨ててしまうし、タレの小袋自体には記載がないものだから、そういえばろくに成分を見たこともありませんでした。見ればなるほど、思った以上にいろいろ、入っているものなのですね(※商品により異なります)。それではいざ、わたしもタレを卒業し、無添加調味へ入門だ!

・・・・・・いや「とはいえタレもカラシも必ず捨てるのは、もったいなくて忍びないなぁ」。逡巡していると、すかさず広報の牛田さんが「そんなタレ不要派のために、タレもカラシも付いてなくて、そのぶん安い納豆も売ってるのを最近見かけますよ」と教えてくれました。知りませんでした。売ってました。タレ・カラシなし納豆40g入り3パック45円(+税)。世の中は、時代は、なんてわたしに親切なんだ。(ただし極小粒のみ。願わくば中粒も置いていただきたい。)

さて。何をかけましょう。醤油だけだと、なんだかタレが恋しくなりそうです。長年慣れ親しんできたタレの、あの甘辛さこそ、やはり納豆に合う気がします。西川さんは塩と言っていたけれど、わたしは塩味だけではなくどうしても、醤油特有の風味やコクに加えて、幾ばくかの甘み・まろみを求めたい気持ちです。

味の方向性をしばらく口内でシミュレーションしていたら、ひょっとして「醤油麹」が合うのでは!?と思い当たりました。健康にも良さそうです。試しに市販の醤油麹を合わせてみたら、これがびっくりうれしい大発見。納豆との相性抜群。むしろタレより断然、美味しいではありませんか。

小躍りしながらしかしふとその醤油麹の原材料を見るに「醤油、米こうじ、食塩、酒精」。ん?「酒精」とは、なんぞや?と思い調べれば、おっとこれまた出ました食品添加物。タレの食品添加物を避けてなお、同じ壁にぶち当たるとは。「酒精」は、麹の発酵の進行を止めて二酸化炭素の発生を抑え、製品容器の変形や膨張を防ぐために必要とされているものですが、要はそれで酵母が死ぬので食べても健康効果は無いのだそうです。まぼろしー・・・。

生きた酵母を食べようぞ。醤油麹で無添加のものは市販されていないのかしら?とさらに調べ出したところ、なんと。あっけないほど素晴らしく簡単に手作りできることを知るに至ったのです。よっしゃ~!さっそく米麹(玄米麹)を調達。常温で麹を同量の醤油に漬け、1日1回かき混ぜる。醤油を吸って麹が膨らむので、漬かる程度に醤油を足す。1~2週間経って、とろみが出たら出来上がり。たったこれだけ。嘘みたい。はい出来ました。(※保存は冷蔵で3ヶ月程度。より詳しくは、各自でお調べください。)

f:id:claskaonlineshop:20180413143742j:plain

この簡単手作り無添加醤油麹が、これがっ!いざ納豆にかけたら恐ろしく美味しくて。涙がこぼれないよう上を向き、目をつむって口いっぱいの感動と幸せをムフゥと噛みしめた次第です。醤油麹も納豆と同じく大豆が原料の発酵食であるからか、納豆との掛け合わせにより大豆自体の風味がより濃く感じられます。くっきりとした、醤油のキレとコク。それに麹のふくよかなまろみ・柔らかな甘みの奥行き。納豆の粘りと醤油麹のとろみががっちり強く絡まり合い、もはや猛烈な旨味のかたまりでしかないです。毎朝何気なく食べてきた納豆が、燦然と輝くご馳走へ、ご飯上のスターダムへと、駆け上がった瞬間でした。無添加だ健康的だなんて理屈をすっ飛ばして味をあまりに気に入ってしまったため、もはやタレには絶対に戻れません。

「納豆に手作り醤油麹」、おすすめです。ネットで検索したら、わたしの他にもこの組み合わせを絶賛愛食している方々や、この食べ合わせでの健康効果を説かれている栄養士さんも見つかって、答え合わせが正解だったような、共感しますとお伝えしたいような気持ちで、うれしくなってしまいました。納豆以外にも、醤油代わりに豆腐や卵かけご飯にちょっとかけたり、料理に使っても、旨味とコクがぐっと増して良いですよ。

市販の醤油麹ももちろん十分美味しいですので、まずは市販のもので試してみて、もしお気に召したら手作りされてみてはいかがでしょう。手作りの味は格別です。(経済的でもあります。)

最後に、朝ご飯について、納豆以外の補足です。バンドのメンバー紹介じゃないですが、現在の朝ご飯の構成はこちら。

[白湯]
図書館で健康雑誌を閲覧して知った「レモン白湯」を飲んでいます。

[ご飯]
今は白米と玄米を混ぜていますが、玄米のみにする予定。いつか将来、土鍋で炊くことに興味がありますが、今は炊飯器です。

[お味噌汁]
昆布とかつお節で出汁をとり、具沢山に(この日は小松菜・ワカメ・長ネギ)。出汁がらは冷凍庫の容器に溜めておき、佃煮にして食べます。(実家の母の真似)

[焼き魚]
仕事帰りのスーパーを狙い、切り身が半額になっていたら購入。塩を軽く振り、1切れずつラップして冷凍。食べる前夜に冷蔵庫へ移して解凍。鉄のフライパンで焼きます。

[ぬか漬け]
「わたしのぬか床」というキットで漬けています。お皿に盛ったものを1~2片食べたら冷蔵庫に仕舞い、5日間程度で食べ切る(ぬか床を、毎日は混ぜるだけ。5日間取り出さないロット生産をする)ズボラなスタイルです。

[フルーツ]
季節によって、変わります。

[コーヒー]
食後にハンドドリップで淹れ、ホッとひと息。

f:id:claskaonlineshop:20180413143757j:plain

魚を焼きそのままテーブルに載せてしまっている鉄のフライパンについては、「アップデートする暮らし」第4回:鉄のフライパンに、誤解を詫び愛を叫ぶ をご参照ください。

木のトレイは、「アップデートする暮らし」第3回:堀井和子さんから教わった、テーブルクロスの使い方  を書いたあとに買いました。CLASKA Gallery & Shop "DO" オリジナルの「白木塗トレイ タモ8.5寸 正角」。自分が書いた記事に鼓舞され、自分が売っている商品を自分で買って使って喜ぶという、おめでたいスパイラルが起きています。にしてもこのトレイは買ってほんとうによかった。形がきれいで清々しいし、ナチュラルな白木のままの仕上げに見えて実は艶なしのウレタン塗装が効いているため水気を吸わず、扱いやすいです。

ところで、しかし。朝ご飯について「健康を考えたら結局、昔ながらの和食にたどり着くわ~」なんて分かった風に話していたら、妹から「でも昔の人の方が寿命が短かったよ」と息の根を止められました。妹は健康・美容探究の権化で、わたしより2歳下なのに知見は20年進んでいます。最近はもはや、食べないこと(不食。まさに霞を食う仙人のような暮らし)や呼吸法に興味があるらしいです。次元が違う。考察は続きます。わたしなんぞ健康志向を気取るくせしてお酒はやめられないし、ポテトチップスなんかも好きでときどき食べてしまう矛盾を抱えながら。

朝ご飯もまだこれから、どんなアップデートを迎えるやも知れません。現時点での自分の経過観察記録として、詳しく書いてみました。

 

※注:醤油麹の写真について

タッパーで仕込み、出来たものを小分けに瓶詰めした写真です。また、材料の玄米麹は銘柄の違うものも試してみたいため、次回用に買ってあるものを撮りました。出来上がった醤油麹の材料とは異なります。

www.claskashop.com

「アップデートする暮らし」第5回:大好きなテレビを、朝は観ないことにした

f:id:claskaonlineshop:20180331153529j:plain

朝、テレビを観るのをやめました。

――たったそれだけのこと?、と思われるかも知れませんが、わたしにとっては、暮らしのアップデートどころか人生の一大変化。

なにしろ生来のテレビっ子なのです。朝起きたらまずテレビをつける。外から帰ってきたら、真っ先にテレビをつける。寝ているとき以外、家では常にテレビをつけているのが当たり前の生活で、かれこれ数十年。音楽を聴くとき、テレビの音を消しても画面は消さない始末でした。

そんなわたしなのですが、ある朝、いつものように情報番組を観ながらご飯を食べていました。1年近く前のことでしょうか。人に対して批判や怒号や罵声を浴びせる話題ばかりが立て続いた頃です。なんだか観てるだけでもつらいなぁ、自分が言われてるわけでもないのに凹むなぁ、とダメージを受けていることに気づきました。

ふっ、とテレビを消してみたのです。

すると・・・・・・あれ?、なんて、静かなんだろう。時が止まったみたい。

観る画面を失い、じっ、と手元の朝ご飯を見つめます。

なんてことだろう。これまでいかにテレビに気を取られ、目の前のご飯をろくに見もせず、上の空で食べていたか。愕然としました。

突如として、はっきりと。いま器と箸を手で持っている、という感触。お味噌汁やお米から立ち上る、香り。噛みしめる、歯応え。味わっている、という実感が立ち現れ、より美味しく、しっかり食べた充足を感じられるようになったのです。

天気予報を伝える画面に代わって、窓の外に目を向け本物の天を仰げば、毎朝違う空模様。おおよそ今日の天気もわかりそうな予感です。静けさの中、風に揺れる木々のさざめき、鳥のさえずりなど、自然のささやかな音が耳に心地よく届いてきます。

あぁ、とっても、心穏やか。

思えば自分と関係ない時事に、ずいぶんと心乱されてきたものです。面識のない他人の不倫が許せないと断じる、現実味を欠いた世界から、「他の誰にも邪魔できない、わたし自身の生活」を愛しむリアリティを取り戻しました。世の中で起きている事件や事故を、「知らぬが仏」とはまさにこのこと。我が家は今日も平和だご飯が旨い。

以来、朝起きてから家を出るまでの、およそ2時間。時間自体は変わらないのに、ずいぶんゆったりとした感覚で過ごし、落ち着いて家事や身支度ができています。うっかりテレビに見入ってしまったことで気づいたらバタバタ、ということも起きません。波風のない湖のような心、安定のご機嫌で、悠々と出社できるようになりました。

・・・・・・なんて書くと、テレビはなるべく観ない方が良いと言っているようですが、そんなつもりはありません。あくまでも朝のひとときだけ、観るのをやめてみたという話です。大好きなテレビの名誉にかけて、テレビへの想いも、ここに書いておきたいと思います。

わたしが生まれ育った福岡の実家では、毎日よくテレビを観ていました。起きて朝ご飯を食べに茶の間へ行けば、ワイドショー。学校から帰ってきたら、夕方のアニメ。晩ご飯どきには父が好きなプロ野球か、わたしたち子どもが好きなバラエティや歌番組。あとは寝る直前までニュース番組。気になるドラマや映画もチェック。意識したことも疑ったこともない、それが日常でした。

思い出すのは、中学~高校の頃。わたしと妹は『ダウンタウンのごっつええ感じ』が観たくてしょうがない。父と母は『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の方が面白いと言って譲らない。日曜20時のチャンネル争いは、熾烈を極めました。

争いに敗れ、渋々観る『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』も、しかし面白いのです。中でも、「勉強して東大に入ろうね会」というコーナーに魅かれました。東大を目指す一般の受験生数名に長期間密着し、邪魔してんだか茶化してんだかワチャワチャしながらも、番組を挙げて全力で合格を祈願するというドキュメンタリーです。何より、登場する受験生ひとりひとりがぶっ飛んだ個性的なキャラクターで、大笑いさせられながら、いつの間にかわたしも彼らを応援する気持ちが熱くなり、結果、合格できたことにもできなかったことにも泣いたものでした。

わたしはすっかり、「なるほど“東大”とやら、さては日本全国から、各学校でもトップクラスの面白人間が結集し、しのぎを削る天下一武道会のような場所なのだな!なんて魅力的なんだ・・・」となぜかアニメ『ドラゴンボール』も混ざって大興奮。自分も東大を目指すと宣言したのです。ところが両親は大反対。「(地元の)九大に、実家から通うもんだ」と決めてかかる教育方針への反抗心から、自室に引きこもって猛勉強するようになり、勝手な希望を燃やして東大受験に挑みました。受験会場で試験開始前、両拳を強く握り締めるわたしに試験官の女性が「そんなに緊張しなくて大丈夫よ、リラックス~」と優しく声をかけてくださったのに「いえ今、スーパーサイヤ人に変身するイメージで集中力を高めていたところです」なんて言えず、ぎこちなくはにかむしかなかった恥ずかしさを妙に憶えています。なんやかんやで結果合格。今振り返れば両親の心配や金銭的負担を顧みなかったことを反省もしますが、母は困ったように「おめでとう」と言いながら上京を支援してくれました。父からは「大学がどこかなんて関係ない。お前が何者になるかだ」とだけ言われ、もっともだとしか思えませんでした。テレビ好きな、良い両親の元に生まれてよかった。(*父の近年の自慢は、ドラマ『相棒』を全話録画し所有していることだ。)

大学入学後には、木村拓哉さんが新進気鋭の建築家を演じたドラマ『協奏曲』を観て心をときめかせ、意気揚々と建築学科へ進学。以前から建築や美術方面には興味があったものの、趣味ではなく進路として考える背中を押されました。ちょうど安藤忠雄さんが教授に就任された、記念の年です。安藤先生ご本人のガイドで巡る安藤建築作品ツアーなんて豪華な研修旅行も経験もできました。その道中、ある空間で倉俣史朗さんの名作チェア「ミス・ブランチ」の本物を初めて見た、あの美しさは忘れられません。のちに、インテリアの道へと導いてくれたような気もしています。

ずっとテレビにワクワクし、笑い、泣き、学び、突き動かされ、共に歩んできました。おかげで、テレビ愛を語り合える、無二の親友とも出会えました。最近感動したのは『とんねるずのみなさんのおかげでした』最終回のラスト。これからもわたしは、テレビを楽しみにし続けることでしょう。

朝、テレビを観ないことにしたのは、テレビを嫌いになりたくないからかも知れない。

最後に、オマケの小ネタです。テレビのリモコンは、なるべく埃が付かないように伏せて置く。

f:id:claskaonlineshop:20180330184414j:plain

 

www.claskashop.com