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CLASKA ONLINE SHOP 速水真理のブログ

「アップデートする暮らし」第8回:ボーナス全部でアートを買う

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わたしは今、興奮しています。生まれて初めて、アート作品を買いました。ボーナス全部をつぎ込んで、2作品。

決して周りからそそのかされ男気を試されたのでも、何かの勝負に負けた罰ゲームでもありません。自ら、すすんで買いました。なぜなら・・・・・・、最近、ふと思ったのです。

生活をするのに必要な物なら、あるっちゃある。むしろこれまでさんざん買ってきました。ちょっとやそっとじゃ、もう欲しくない。大人になりました。だから

この先何のために生きて働いてお金を使いたいか考えたら、「美と芸術に触れ、心を震わせるためしかないじゃないか!」と

奮い立った、思い切った、買ったった。このドキドキとときめきったら、なんたることでしょう。

2作品のうちのひとつは、小村雪岱の「青柳」。

出合いのきっかけは、CLASKA Gallery & Shop "DO" ディレクター 大熊さんによる、雑誌『Discover Japan』での連載記事でした。ご自身が小村雪岱の大ファンだと触れられていたのです。

「なぬ、小村雪岱、とは!?」と寝耳に水の無知を恥じ、慌ててコソコソGoogle画像検索するわたし。表示された日本画の数々に、目を見張りました。これほどまでに自分好みな作風の画家が存在していたなんて。なのにこれまで全く知らなかっただなんて。驚嘆と痛恨と焦燥に駆り立てられ即、作品集を買い求めたのでした。

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届いた作品集に、夢中です。本棚へ仕舞う暇も惜しんでダイニングテーブルに平置きしたまま、ふとした時、いつでも手に取れるようにしました。(そのせいでうっかり、すっかり表紙が日に焼けてしまいましたが。)

どこからめくり、なんど眺めても、はっとするほど美しい。中でもいちばん、吸い込まれるように見入ってしまったのがこの「青柳」でした。

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好きすぎてそのうち、印刷では物足りなくなりました。実際の色彩や質感はいかほどのものなのか、なんとしてでもこの目で見てみたい。焦がれ猛る心、血走る眼で捜しまくった末、約80年前の複製版画(ED300のうちの1点)と巡り合い、入手する幸運に恵まれたのです。

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この画のどこが素晴らしくどのように好きか挙げようとすればキリがなく、挙げたところで無粋かと途方に暮れる、結果、沈黙するよりほかありません。ただただ、この風景のように静かな心持ちで暮らしていけたらなぁと、眺めるごとにしみじみ感じ入っています。

もうひとつは、先日まで CLASKA Gallery & Shop "DO" 本店で開催していたフィリップ・ワイズベッカーさんの作品展「PHILIPPE WEISBECKER WORKS IN PROGRESS」から。"KAKEMONO" というシリーズの作品です。

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ワイズベッカーさんが蚤の市で見つけた中国の古い掛け物から着想を得て、地の紙や軸からすべて手作りされました。身近な日用品を描いた画の妙はもちろんのこと、全体がオブジェとしてめちゃくちゃ格好いい。磁石や瓶など、10種類ほどあった中からわたしが選んだモチーフは "DUST PAN"(チリトリ)です。

禅寺のお坊さんが、庭を掃き、床を磨くことを何より大事な修行とされているように、わたしも日々ますます掃除に精進し、住まいと心の塵を取り払いたい。美しい暮らしの真理と悟りを目指す求道者として、ご本尊にチリトリを祀ろうというわけでございます。

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一方で、見方を変えて、チリトリの持ち手部分を人の頭としてみましょう。着物を着た人が、座っているようではありませんか?

日本の古い掛け軸によくある烏帽子姿の貴族の肖像を思いっ切り単純化したキャラクターのようにも見えてきて、なんだか微笑ましい。「菅原道真公です」と言われれば「なるほど」と頷きありがたがってしまいそうな、ほんのり雅な面白味があります。

日本人にとって古来より馴染み深い「掛け軸」の感覚からすると、あり得ない「チリトリ」なんて題の現代アート最新作。フランス人であるワイズベッカーさんのセンスによって国籍も時代も超越してしまった結果、はなから古物のように澄まして存在しているのも痛快です。100年後の未来の人たちに見せたら「なんだこれは」と驚くに違いないとニヤニヤしていますが、果たしてその頃、世界からチリトリは無くならず残っているのでしょうか・・・。

さて、冒頭で正直「生まれて初めて」アート作品を買ったと申しました。

実は・・・、これまでの人生、アートを美術館などで鑑賞することは好きでも、作品そのものを買って所有するなんて、よもや「わたしなんぞが」という、分不相応と現実味の無さを感じながら生きてきてしまったのです。服や物とはちょっと違って、畏れ多いと言いますか。それでいてここにきて、今回の2作品。生まれて初めてでいきなり生意気ながら、これまでの人生でいちばん大きな買い物となりました。

自慢するつもりは、ありません。自信、というほど大それたものでもありません。腹を括って清水の舞台から飛び降り、アホほど身銭を切った痛みと引き換えに、「わたしなんぞが」の「なんぞ」と決別できたことこそが、情けなくも感涙のアップデートとなったのです。誰にも、わたしにも、アートを愛好する権利があるんだ。そう気づいて一歩踏み出す勇気を持てたことが、うれしいのです。

にしても、「『アートのある暮らし』って、いいよね」なんてほぼ当たり前レベルの概念くらいは持ち合わせているつもりでしたが、“つもり”なだけで、ショックなことに、お恥ずかしながら、今日の今日までなーんもわかっていなかったんだと知るに至りました。アートを鑑賞することと、アートと暮らすことが、こんなにも違うなんて。美術館やギャラリーで拝見し「いい作品だったな〜」「ときどき思い出そう」くらいで関係が済むのではなく、買ってしまってから始まるリアルな付き合いと生活。もちろん惚れ込んだ作品ですから、家で目にするたび幸せ。とはいえ、これから先の日々の中で、これらの作品からどれだけ新たな魅力を発見できるか。自分はどこまでその美の境地に近づけるのか。自分がどんなに変化しても、好きでい続けられるのか。あるいは風景や空気のごとく、無意識に馴染みゆくのか。観察し学び続ける覚悟と経験を買ったような気もしています。

あ、チリトリ様に見守られているおかげで、掃除の精度はちょっと、上がったように思いますよ。笑

いや~しかし「ボーナス全部をつぎ込んで」と言いながら実はボーナス全部でも足りなくて、それ以上だったのでした。あいたたた。よっしゃー、働こう!